日亜化学工業のVS 青色LED ノーベル物理学賞 中村修二教授 勝つのは? [つぶやき]
日亜化学工業の立場で青色LEDとノーベル物理学賞 中村修二教授を見たら、話しはがらっと変わります。物事にはそれぞれの立場があります。
経営者の視点で今回の件について考えました。
ただしドラマをイメージしつつ。
例えば・・・
ドラマ 半沢直樹でいうと、半沢直樹からみたら大和田常務は、父親の敵、許し難い存在です。
一方の経営者的な大和田常務からみたら、町工場の社長の戦略がカスだから潰れただけ。悔しければ、もっと頭を使って生き残る術を考えて、もっと早く手を打つべきだったんだよ。俺は辺り前のことをしたまでだ。
弱い会社は潰れる。存在価値がない会社をいつまでも存続させておく方が悪である。それくらいな考えだったと思います。
従業員の立場から見たら、とても厳しい結論になります。しかし銀行も大和田常務自身も生き残りを賭けたサバイバルゲーム。戦国時代の戦と同じで、食うか食われるかのところにいます。
それを自分の経営手腕がダメで、会社が潰れそうになってから土下座されて助けてくれと言われても、「お前が悪い。」と言われても仕方がない。
子供の例でいうと、勉強もせずにテストで0点取って、先生に親に叱られるから、なんとか点数を下さい!と言っているようなものです。
おとぎ話で言えば、『アリとキリギリス』
アリは夏の間にせっせと働いて、蓄えをしていたけれど、キリギリスは遊んでばかりで蓄えはなし。冬になってアリは豊かに暮らしているが、キリギリスは死んでしまう。それをアリは助けない。
近年、それは残酷だというので、温情を与えてキリギリスはそれを気に、心を入れ替えて一生懸命に働くというストーリーに改変されているようです。
まあ、でも戦国時代のドラマをみて、ああでもない。こうでもないって言っていますが、要は殺し合い。残酷な話しが山ほどありますね。
つまりは弱肉強食の世界に住んでいるから、弱いものは破れて、強いものが生き残る世界に生きているということです。
社員が会社側に負けるのは、社員が弱いから。勝つためには?
選択肢としては、社員が資金を集めてベンチャー企業を立ち上げて、元企業とライバルとして戦う。という方法があります。あるいは社員が頑張って、経営者まで登り詰めて会社を自分たちの思うシステムに改変すること。どちらにしても勝つまでには、相当な忍耐と時間がかかるはずです。
いまは強い企業だって、ベンチャーだった頃があり、その頃は創業者もつらい想いをたくさんされているはず。だから創業者が元気な間は、企業は比較的安泰なような気がしますが、代が変わると・・・
日亜化学工業のVS 青色LED ノーベル物理学賞 中村修二教授
なんて戦をしなくても良いのだと思います。
中村教授は、より新しい技術を生み出し、それらを元にして日亜化学工業はより良い製品をよりやすく社会に提供していく。それで良いのではないでしょうか?
もっとも日亜化学工業も安泰というわけではなく、経済戦国時代の1国として戦っているわけで、それぞれ生き残る為には手段を選べない場合もあります。倒産しては意味がない。
企業側としても、利益は会社のものという立場は当然であり、大きなリスクを背負って研究開発をどんな経緯があったにせよ、OKをだしたのは間違いのない事実。そこに感情が潜り込んでいるから、話しがややこしくなっているだけです。
問題なのは、この先、どんな素晴らしい商品、私達に役立つ商品を日亜化学工業は送り出してくれるのか?ということと、
今回は『日亜化学工業のVS 青色LED ノーベル物理学賞 中村修二教授』を企業側の視点で書いてみました。ノーベル物理学賞の中村修二教授が、これからどれだけ青色LEDを進化させてくれるのか?ということであり、楽しみな世界が広がる可能性に期待したい。
企業側、さらにもう少し俯瞰して書いてみました。
※追記
日亜化学工業にとって最大の皮肉
今回、日亜化学が「無価値」だと主張した中村氏の発明が、ノーベル賞を受賞した。
訴訟を起こした経緯などはこちら(リンク切れの可能性があります。)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141013-00010000-bjournal-bus_all&p=1
この記事によれば、訴訟の発端は会社側にあるのは明かです。徹底的にノーベル物理学賞 中村修二教授つぶしをしていたと読み取れますね。訴訟合戦は、創業者がご健在であれば、まずあり得なかったと思います。
ぜひ、広めて欲しいと思います。